『ピーター・パン』は危険な存在なのか? マイケル・ジャクソンも憧れた“永遠の少年”

「I can fly!」
俳優の窪塚洋介は、主演映画『ピンポン』(2002年)でそう叫びます。その後、自宅マンションから飛び降りていますが、重傷を負いながらも命には別状がありませんでした。窪塚が叫んだ台詞ですが、劇場アニメ『ピーター・パン』(1953年)でも印象的に使われていることはご存知でしょうか。
5月29日(金)の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)は、クラシックアニメ『ピーター・パン』を放送します。本編ノーカットで、古き善き時代のディズニーアニメを家庭で楽しむことができます。
窪塚だけでなく、2009年に亡くなったマイケル・ジャクソンも『ピーター・パン』から強く影響を受けています。“永遠の子ども”ピーター・パンが現実世界にもたらした影響を考察してみたいと思います。
厳格な父親のもとを離れる子どもたち
ざっと『ピーター・パン』のあらすじをおさらいしましょう。ロンドンで暮らしている少女ウェンディは、父親の命令で明日から子ども部屋を出ることになります。子ども部屋で過ごす最後の夜、窓から現れたのが不思議な少年ピーター・パンでした。
大人になることを放棄したピーター・パンは、ウェンディを「ネバーランド」へ連れていってあげると言います。喜んだウェンディは、子ども部屋で寝ていた弟のジョンとマイケルを伴い、「ネバーランド」へと旅立ちます。
妖精のティンカーベルの魔法の粉を浴び、ウェンディたちは空を舞うことに成功します。このときの台詞が「I can fly!」です。
ピーターとウェンディたちが、夜のロンドンを飛行するシーンは名場面として有名です。かくして「ネバーランド」に到着した一行は、人魚やインディアンたちに遭遇するという冒険を重ねます。そして、ピーター・パンを憎む海賊のフック船長との対決が待っていました。
フック船長がワニに追いかけられる理由
20世紀の初頭、英国の作家ジェームズ・M・バリーが舞台用に書いた戯曲が、『ピーター・パン』の物語のベースとなっています。当時の英国は家長制度が強く、子どもたちは親に逆らうことが許されていませんでした。そんな時代背景が『ピーター・パン』には反映されています。
ディズニーアニメのオリジナル版も、父親とフック船長は同じ声優が演じており、永遠の子ども=ピーター・パンvs.権威主義的な父親=フック船長という対立構造の物語となっています。
フック船長が時計を飲み込んだチクタクワニから逃げ回る姿は、時間に追われる大人の隠喩だそうです。
本当は恐ろしい「ネバーランド」
原作者のバリーには7歳年上の兄がいたのですが、13歳で亡くなっています。つまり、バリーの兄は大人になる前に成長が止まり、永遠の存在となったのです。ピーター・パンのモデルだと言われています。
ピーター・パンは空を飛ぶ「自由」の象徴であるのと同時に、成長を拒み、人間社会から「逸脱した存在」でもあるわけです。彼が暮らす「ネバーランド」は楽しい夢の世界ですが、家族からはぐれてしまったロストボーイたちもいる「あの世」を思わせる世界でもあるのです。
生と死の境界線上にある場所が「ネバーランド」なのかもしれません。
タイガー・リリーたちネイティブアメリカンがステレオタイプな先住民族として描かれ、またウェンディが家事を任されたりするシーンは、多様化が尊重され、ジェンダーの平等性が求められる現代では問題視されがちです。しかし、子どもらが持つ「想像力」の素晴らしさを謳った名作ファンタジーだと言えるでしょう。
悲劇の主人公となった現実のピーター・パン
伝記映画『Michael/マイケル』が6月12日(金)から劇場公開されることから再び話題となっているのが、世界的なスーパースターであるマイケル・ジャクソンです。彼が『ピーター・パン』に憧れていたことは有名です。父親の命令で、マイケルは小さい頃から「ジャクソン5」としてステージに立ち、子どもらしい時間を過ごすことが許されませんでした。
ピーター・パンが空を飛んだように、マイケルはステージ上で「ムーンウォーク」を披露しています。重力にとらわれない、解放感を象徴したムーブだったように思います。
マイケルは飢餓で苦しむアフリカの子どもたちを救済するために、全米の大物ミュージシャンたちに呼びかけ、チャリティーソング「We Are the World」の中心メンバーとなっています。理想を追い求め、夢を実現する姿勢は、現実世界のピーター・パンと言っていいのではないでしょうか。
子どもが大好きなマイケルは、自宅に動物園や遊園地を併設し、「ネバーランド」と名付け、子どもたちを招待しています。子どもたちが持つイノセントな想像力が、アーティストの創作活動にも欠かせないものであることをマイケルは知っていたからです。
しかし、「ネバーランド」に呼ばれた子どもたちとマイケルがあまりにも親密すぎたために、子どもたちの親やマスメディアから性的虐待疑惑を取り沙汰されるはめになりました。マイケルはいっそう、孤立を深めていくことになります。そうしたスーパースターの苦悩が、『マイケル』ではどの程度描かれるのかも気になるところです。
ファンタジーは現実世界の写し鏡
バリーが『ピーター・パン』を創作したエドワード朝時代と現代では時代が大きく変わったことで、ピーター・パンの存在意義も変わっています。
かつてのピーター・パンは自由の象徴だったのですが、豊かな時代となった現代では、進学も職業も結婚もかつてより自由が認められるようになりました。そして、そんな自由と引き換えにそれぞれが自己責任を負う社会となっています。
束縛から解放された時代になったものの、空を飛ぶ身軽さはむしろ失われたようにも感じられます。ピーター・パンは憧れの対象から、現実社会には相容れない異形の存在に変わったのではないでしょうか。
ちなみにピーター・パンの「パン」は、ギリシア神話に登場する「牧神パン」が由来だそうです。ギレルモ・デルトロ監督のファンタジー映画『パンズ・ラビリンス』(2006年)にも、神さまの名前として使われています。自然やありのままを象徴する神さまのようです。
スペイン内戦時代を舞台にした『パンズ・ラビリンス』は、少女が迷い込む幻想の世界にもシビアな現実が投影されており、かなり残酷な世界観となっています。
もしも、『ピーター・パン』を現代的にリブートすると、ウクライナや中東で起きている戦争を反映したドロドロの世界になりそうです。表向きは自由が認められる社会になったものの、「I can fly!」と叫ぶことすらはばかられる時代にもなっています。
ティンカーベルを生き返らせる力
ウェンディとピーター・パンが仲良くしていることに嫉妬する妖精のティンカーベルも、重要なキャラクターです。物語の後半、ティンカーベルは瀕死の重傷を負いますが、舞台版では客席にいる子どもたちが妖精の存在を信じ、励ましの拍手を送ることで甦るという演出がお約束となっています。
結局のところ、ティンカーベルもピーター・パンも、我々が信じるか信じないか次第の存在です。人間のイマジネーションが彼らの生命力となっているのです。
分断や戦火が絶えない現代社会にいちばん足りていないものは、地下資源でも人材でもなく、想像力なのかもしれません。
(文=映画ゾンビ・バブ)
