山崎貴監督の世界的ヒット作『ゴジラ-1.0』 「この国は変わんねぇ」ままなのか?

人間の潜在意識には「破壊衝動」が眠っているといわれています。人を愛したい、生きたいというポジティブな気持ちと同時に、すべてを壊してゼロに戻りたいという願望も密かに持っているそうです。
本多猪四郎監督の特撮映画『ゴジラ』(1954年)が70年以上たっても、世界中で愛され続けているのは、破壊神ゴジラに魅了され、街が破壊される様子にカタルシスを感じるからではないでしょうか。
山崎貴監督のヒット作『ゴジラ-1.0』(2023年)は、敗戦によってゼロ状態と化していた日本にゴジラが出現し、マイナスに転落してしまう破壊の物語です。破壊され尽くした世界に、主人公たちは何を見るのでしょうか。
10月30日の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)でノーカット放映される『ゴジラ-1.0』の見どころと気になる点を、改めて振り返ります。
戦争サバイバーが抱く罪悪感
日本国内だけで興収76.5億円、世界興収は150億円を記録した大ヒット作『ゴジラ-1.0』は、こんなストーリーです。
太平洋戦争末期、零戦パイロットの敷島(神木隆之介)に特攻命令が下されます。パイロットとしての腕はいい敷島ですが、メカトラブルを口実に特攻を回避し、生きて終戦を迎えます。引き揚げ船に乗って東京に帰ってきた敷島ですが、街は焼け野原状態で、家族はみんな亡くなっていました。お隣に住んでいた澄子(安藤サクラ)からは「よくも、おめおめと帰ってきたね」と責められてしまいます。
罪悪感に悩む敷島は、闇市で知り合った典子(浜辺美波)と彼女が連れていた戦災孤児の明子と一緒に暮らし始めます。身寄りのない典子と明子を養うため、敷島は危険な機雷処理の仕事を請け負うのでした。3人での平穏な暮らしに、生きる希望を見いだす敷島です。
しかし、敷島が幸せになることを戦時中の記憶が許してくれません。亡くなった戦友や家族に対する罪の意識から、敷島は悪夢にうなされます。そして、敷島が見る悪夢が具現化したかのように、ゴジラが日本に上陸します。
主人公の主観で描かれた新鮮味のあるゴジラ
戦場体験者である本多監督らが生み出した初代『ゴジラ』は、「反戦」「反核」のメッセージを背負った怪獣として日本では語り継がれてきました。それに対し、山崎版ゴジラは、大人になりきれずにいる主人公が乗り越えなくてはいけないイニシエーションの象徴的存在として登場します。
敷島が特攻を逃れた日、そして典子や明子たちとの平和な生活が軌道に乗り始めたタイミングで、ゴジラは敷島の前に姿を見せるわけです。敷島にとっては逃げようとしても逃げられない死神のような存在です。
とりわけ、東京に上陸したゴジラが銀座一帯で暴れ回り、キノコ雲をバックに咆哮する瞬間は、敷島の目にはあまりにも巨大で、禍々しい存在に映ります。
ゴジラという怪獣を敷島の主観で捉えているところが、これまでの「ゴジラ」シリーズとの大きな違いであり、新鮮味を感じさせたところでしょう。元ネタはフアン・アントニオ・バヨナ監督の『怪物がささやく』(2017年)かもしれませんが、パクリにはならないようにうまく取り入れています。
VFXの見せ場へ導くための登場キャラクター
VFXを得意とする山崎監督ゆえに、海上に背びれだけ出してゴジラが遊泳するシーン、現在の有楽町マリオンが建つ場所にあった「日劇」をゴジラが破壊するシーンなどは目を見張るものがあります。
一方、『ゴジラ-1.0』はストーリーの薄さが気になるところです。神木隆之介をはじめ演技力に定評のある俳優たちをキャスティングしているから目立ちませんが、キャラクターたちはみな記号的で、VFXによる見せ場へと観客を導くための案内人にすぎないように感じてしまいます。
好意的に解釈すれば、戦争を知らない若い世代がスムーズに理解でき、感情移入しやすいキャラクター設定だともいえるのですが、人間としての奥行きは感じさせません。
とはいえゴジラが暴れ回るシーンを期待しているファンには、ディープな人間ドラマは不必要なのでしょう。そこは人によって評価が割れるところです。
「この国は変わんねぇなぁ」という実感
状況を説明するための台詞が目立つ台本ですが、脚本も兼任した山崎監督の本音が感じられるのは、敷島たちが機雷回収船でゴジラに立ち向かう中盤シーンです。ゴジラが東京に向かっていることがわかり、同船の船長・秋津(佐々木蔵之介)たちは巡洋艦「高雄」が到着するまでの時間稼ぎのために出航を命じられます。武器は回収した機雷を使えとのことです。
ゴジラの存在に箝口令を敷き、武器や物資は現地調達すること、名もなき市民たちを「捨て駒」に使うことに対し、戦場経験者の秋津は「この国は変わんねぇなぁ。いや、変われないのか」と愚痴ります。
日本は敗戦が確実になっても、沖縄を捨て駒にすることで本土決戦までの時間稼ぎに使っています。さらには広島、長崎に原爆を投下され、ようやく無条件降伏するに至っています。物資の現地調達を前提とした「インパール作戦」では、10万人中3万人もの兵士が飢えと病気で亡くなっています。
秋津が口にする「この国は変わんねぇなぁ」という言葉は、『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)を皮切りに、『永遠の0』(2013年)や『アルキメデスの大戦』(2019年)など「昭和」の日本を描き続けてきた山崎監督が実感していることではないでしょうか。
ゴジラが破壊したものと破壊しなかったもの
先週も触れましたが、山崎監督はビジュアルづくりに専念し、脚本はプロのシナリオライターに頼むべきだと思います。銀座で暴れ回ったゴジラは熱線を吐き、国会議事堂を一瞬にして灰にしてしまいます。『ゴジラ-1.0』の最大の見せ場と言っていいでしょう。
オリジナル版『ゴジラ』と同様に、国家権力の象徴としての国会を破壊するゴジラですが、実は『ゴジラ-1.0』の舞台となる1947年には日本を戦争に導いたA級戦犯たちは国会にはおらず、巣鴨プリズンに収監されていたのです。山崎版ゴジラは破壊対象を誤っています。戦後史を知っているプロの脚本家なら、こんな間違いはやらかさないはずです。
ただし深読みすれば、秋津に「この国は変わんねぇなぁ」と言わせたように、ゴジラは巣鴨プリズンをあえて破壊しなかったのかもしれません。巣鴨プリズンに収監されていたA級戦犯たちが放免され、政財界に復帰し、日本は本格的な復興に向かうことになります。もし、そうだとしたら山崎版ゴジラはあまりにも皮肉な存在です。
山崎版ゴジラが巣鴨プリズンを破壊しなかったように、初代『ゴジラ』は皇居を避けて東京を壊滅状態に追い込んだことが知られています。そのことから、ゴジラは戦争で亡くなった英霊たちの象徴ではないかといわれています。英霊たちの残留思念が一体化してゴジラになったものの、天皇のいる皇居には足を踏み入れなかったわけです。
ゴジラは絶対的な破壊神であるのと同時に、どこか物哀しさも感じさせる怪獣です。
昭和を撮る監督なら避けられない題材
浜辺美波演じる典子の首にある黒い痣(あざ)は、その後どうなったのか? あの金色の宇宙怪獣も登場するのか? 11月3日(火)より公開される山崎監督の最新作『ゴジラ-0.0』が早くも話題となっていますが、主人公たちの内面により踏み込んだドラマになることを期待したいところです。
興行結果だけでなく、米国のアカデミー賞視覚効果賞を日本映画で初めて受賞するなど、山崎監督の評価は大きく高まっています。発言力の高まっている今の山崎監督なら、山崎監督世代が少年期に読んでトラウマを受けた漫画『はだしのゲン』を実写映画化することも可能だと思います。多くのアメリカ人は『ゴジラ』は知っていても、『はだしのゲン』は知りません。
VFXが得意な使い勝手のいい監督から、人間社会の悪しき業でもある戦争そのものまで描く監督へと進化を遂げてもいいタイミングだと思います。昭和を撮る監督なら、広島と長崎は避けては通れない題材ではないでしょうか。『はだしのゲン』は1970年代に実写映画化されていますが、もはや幻のカルト作となっています。モスラの幼虫が、成虫へと羽化したような大変身を山崎監督には期待したいところです。
世間の常識や現状維持の安心感さえも木っ端みじんにしてしまう破壊神たちを、今こそこの世界に放つときじゃないですかね。
(文=映画ゾンビ・バブ)
