KIBA×YURAサマ~インタビュー前編「幕が開いた瞬間、大爆笑だった」 “人と違うバンド”の作り方

金色の衣装でステージに立ったGargoyleのKIBAと、ゲームの世界から飛び出してきたような姿で登場したPsycho le CémuのYURAサマ。音楽性も世代も異なる二人には、最初のライブで客席から笑いが起きたという共通の経験がある。「黒い人たちの仲間に入りたい」のではなく、そこからはみ出したかった。KIBAがPsycho le Cémuのポスターに感じた親近感は、見た目の派手さだけではなかったという。
今回の対談相手は、ドラマーとしての活動に加え、舞台の企画や子ども向けのドラム教室などにも取り組むYURAサマ。前編では、それぞれのバンドが生まれた頃の発想から、テレビで味わった戸惑い、そして二人が親しくなるきっかけとなった舞台共演までを振り返る。
──まず、お二人の出会いから教えてください。
YURAサマ:最初はどこかで対バンしてるんですよね。
KIBA:北海道だったと思います。インディーズショップが主催するようなイベントで、当時、北海道までツアーに来るバンドをいくつか集めたんじゃないかな。
──Psycho le Cémuは、その頃からあの衣装だったんですか?
YURAサマ:最初から僕たちはあれなんで。
KIBA:僕が最初にPsycho le Cémuを認識したのはポスターです。「なんだろう、これは」って思った。僕はバンドをやり始めた頃、天草四郎みたいな金色の和風の衣装で出たんですよ。自前の幕があって、それがバーンと取れた瞬間、客席が大爆笑だったんです。
当時はまだ、海外のロックバンドの格好を真似する人が多かった。その中で「なんだ、これは」って。お客さんって、ちょっとわからないものを見ると笑ったりするじゃないですか。
YURAサマ:僕たちも一緒です。ファーストライブで幕が開いた瞬間、ドカンと来ましたね。その時に「売れた」って思いました(笑)
KIBA:僕はあのポスターを見て、自分が笑われた時の衝撃を思い出したんです。「一緒の系統かもしれない」って。
YURAサマ:カラフルな5人が戦隊ものみたいなポーズを取って、幕が開く。それはウケましたね。
──そもそも、あのコンセプトはどこから出てきたんでしょう。
YURAサマ:僕たちが始めた頃は、ヴィジュアル系にはまだ黒のイメージがあったので、「黒じゃないバンドをやろう」って。それで5色になったんです。僕も含めてゲーム好きなメンバーもいたので、ロールプレイングゲームのような世界観でやれたら面白いんじゃないかと。
自分たちではヴィジュアル系のつもりでやっていました。ただ、デビューする時に周りの大人たちから違う呼び方にしようと言われて、「コスプレ系」と呼ばれるようになったんです。

KIBA:僕が近いなと思ったのは、派手さよりも「周りとは違うことをやりたい」と思ってそうだったところですね。その頃だったら、黒い人たちの仲間に入りたい人が多かったと思うんですよ。そこからはみ出したい、というところに近いのかもしれないって感じた。
──KIBAさんの衣装にも、具体的なモチーフがあったんですか?
KIBA:海外の真似ばかりしているから、逆に「外国人が見た日本人」みたいなものをやろう、と。辻村寿三郎さんの人形の雰囲気も好きだったし見たりしました。
当時のバンドマンって、ちょっと粗暴で、お金がなさそうで、そういう感じがかっこいいとされるところがあったんです。でも僕は、知的だったり、リッチだったりするもののほうがかっこいいと思っていた。それに、粗暴な面とかは、自分の中に無いものだったし。
その頃のバンドの村からは出たかったんですよね。真ん中でやりたいわけじゃなくて、誰もやっていないこと、自分が面白いと思うことをやりたかった。無理やり海外のロックに自分を寄せるより、自分の中に持っているものでやったほうが面白いんちゃうかなと。
──Gargoyleの衣装は、KIBAさんがメンバー全員の方向性を決めていたんでしょうか。
KIBA:いや、決めてないです。みんなが自分でやりたいことをやっていただけ。
YURAサマ:僕たちは全員で、全員の衣装を考えます。自分が着るものを、ほかのメンバーが決めることもある。メンバーみんなで決めたことは絶対、というルールなので、「俺、これ着たくないわ」はないんですよ。みんな役割分担があるので。
──それで揉めることはないんですか?
YURAサマ:文句を言っちゃダメだから、揉めるんです。言う時はもう「じゃあ辞めます」になる。そういうのは、だいたい僕なんですけど(笑)
──何がそんなに嫌だったんですか。
YURAサマ:髪の色ですね。5人で色がかぶったらダメなので、誰が何色を担当するか話し合うんです。レコード会社が決まって東京へ引っ越してきた、最初のミーティングだったと思います。「これからみんなでやるぞ。その前にイメージチェンジしよう」と。
最初、僕は黄色だったんです。黄髪ですね。それが満場一致で「YURAサマは次、オレンジ」になった。なぜかわからないんですけど、オレンジだけは受け入れられなかったんですよ。
──デビューも決まって、上京したばかりなのに。
YURAサマ:「オレンジやったら辞めます」って。それを受け入れられたら、本当に辞めるしかないと思っていました。
──結局、オレンジは別のメンバーが?
YURAサマ:ギターのLidaです。Lidaにはオレンジのイメージがあると思うんですけど、あれは僕が断ったから(笑)
──衣装が演奏の妨げになることもありそうです。
YURAサマ:ありますね。ただ、今思うとよくないんですけど、当時は「うまいイコール正義じゃない」という気持ちがあって。うまい人をちょっと小ばかにしていたぐらいなんです。「僕たちは下手なのに、僕たちのほうが人気ある」というところに、変なかっこよさを感じていた。
楽屋でずっと楽器を弾いている人を見て、ほくそ笑んでいました。若かったし、嫌なやつだったんです。
──ドラムを始めたきっかけは?

YURAサマ:X JAPANです。本当に何も知らずに始めて、「ドラムって両足を使うんだ」と。「プロになればきっと叩けるようになる」と思っていたんですけど、いまだに叩けないですね。
ただ、僕は「こういう音楽をやりたい」ということより、バンドをやりたかったんです。バンドをやって、キャーキャー言われたい。その思いでしたね。
──Psycho le Cémuはテレビにも数多く出演していました。最初から、そこを目指していたんですか?
YURAサマ:デビューする時に「音楽番組に全部出させてくれないと、デビューしません」とは言っていました。あの見た目なので、まず見てもらわないと、というところがある。周りの大人も納得していましたし、テレビ向きの絵面だったと思います。
ただ、出てみたら、思いのほかメンバー全員が”アーティスト”だったんですよ。誰もタレントじゃなかった。「僕たち、関西の面白いお兄さんですよ」ぐらいの気持ちでいたのに、誰もうまくできなくて。
──『堂本兄弟』にも出演されていましたよね。
YURAサマ:あれはデビューが決まった時に、レコード会社の人が僕個人の仕事として取ってきてくれたんです。それを聞いた時にも「売れた」と思いました(笑)
KIBA:それは売れたで良いよ。
YURAサマ:でも、僕は自分を芸能界にうまくはまるタイプだと思っていたのに、全然はまらなかった。面白いことも言えないし、誰とも仲良くなれなかったんです。
バンドでテレビに出ても、メンバー同士でわかるんですよ。「今日もスベったな」って。帰りの車では、だいたいみんな落ち込んでいました。
──ライブで話すのとは違った。
YURAサマ:僕たちはライブをやって、ファンの人にキャーキャー言われて上がってきたバンドなんですよ。自分たちのファンが相手なら、いくらでもできる。でも、急に知らない人の前に出て、知らない人たちと絡むことはできなかった。やり慣れた、閉じた場所では強いんだと改めて知りました。
それでも知名度は上がったし、今でも「あのテレビに出ていましたよね」と言ってもらえる。影響力はあったんだと思います。
──KIBAさんも、音楽以外の仕事をされています。

KIBA:僕は基本的に、「GargoyleのKIBA」という名前で来る仕事はやると決めているんです。テレビでも、パチンコ雑誌でも、どこでバンド名を知ってもらえるかわからないので。
僕らはポップスではないし、そうやって名前を知ってもらわないといけないジャンルだと思っている。昔知っていた人に「今でも活動しているんだ」と思ってもらうことも含めてですね。普段は交わらない人たちのところに出て、まず名前を見てもらう。そこには重きを置いています。
──音楽を作るうえでも、売れることは意識していたんですか?
YURAサマ:僕たちには、まず”売れることをやろう”という共通認識がありました。タイアップでこういう曲を作ってほしいと言われたら、それに合わせることも嫌じゃなかったし、プロデューサーが入って曲がガラッと変わることも嫌じゃなかった。
リリースの時期などは事務所やメーカーの方が考えてくれて、僕たちはその都度、衣装や世界観をどうするか考えていました。世界観やコンセプトは、全部自分たちで作っていましたね。
──一方でGargoyleは、レコード会社を選ぶ時に意識したことはありますか。
KIBA:いろいろな会社から話をいただいたんですけど、結果決めたのは条件が一番安いところだったんですよ。東京の人に騙されて、いいように使われて使い捨てにされるって疑心暗鬼でした。
ほかの会社では「君らの音楽はわからないけど、人気があるから」とか、「どんな音楽を作っても売る」という話が多かった。そんな世界は僕らには無理やと思ったんです。契約したところだけは、メンバー一人ひとりに音楽の話をしてくれた。それでみんな「この人がいいんじゃないか」と。
YURAサマ:僕らの頃はもう、契約金がドンと入るような時代じゃなかったです。デビューしたら高級車に乗れると思ってました。
──最初の対バンから、親しくなったきっかけは何だったんでしょう。
KIBA:それは明確で、YURAサマがお芝居をやることになって、声をかけてもらったんです。
YURAサマ:バンドを巻き込んだ、よく言えばミュージカルですね。いろいろなバンドの楽曲を演奏しながら、その間にお芝居が入って、全員で一つの舞台を作る。
個人活動をしようという時期に、ドラムの自分に何ができるか考えていました。ヴィジュアル系の中でミュージカルのようなものができたら面白そうだなと。事務所の力を借りずに、自分で何かやってみたい時期でもあったんです。どうやるのかというところから、KIBAさんたちに相談しました。
──なぜGargoyleにお願いしたんですか?
YURAサマ:いろいろなミュージシャンが出るので、その人たちの曲を演奏できないといけない。ちゃんとしたクオリティで、柔軟に対応してくれる方は誰だろうと相談して、Gargoyle先輩にたどり着いたんです。それで挨拶に行って、「こういうことをやりたいんです」と。
KIBA:僕以外の当時のメンバー3人が、出演するバンドの曲を演奏して、そのバンドのボーカルが歌う。それがお芝居の中に入っているんです。僕は悪い人の役で、毎回最後にYURAサマたちにやっつけられる。
──演技をするのは、歌うのとは違いましたか?
KIBA:違いますね。まず、僕はバンドのボーカルだから、お芝居が下手でも知らん、呼んだほうが悪いと思っていました。一生懸命はやるけど、評価は気にしていなかったということです。
あとは、決まっていることが多い。歌は、決まったことを100点でやれば評価されるわけじゃなくて、そこからどう遊べるかというところがある。でもお芝居は、まず決まったところにちゃんとはまれることが大事なんやなと。それが一番違いました。
──主催する側から見て、KIBAさんはいかがでした?

YURAサマ:ずっと怖かったです。
KIBA:嘘だ(笑)
YURAサマ:でも、前のめりに「こういうのはどうかな」と提案してくれたんですよ。言われたからやります、という受け身のスタイルじゃなかったので、すごくありがたかった。先輩が「言われたことしかやらないよ」という感じだったら、やっぱりしんどいじゃないですか。
KIBA:僕はものすごく楽しんでいましたよ。学びも多かった。バンドのリハーサルと違って稽古の期間も長いから、対バンで挨拶するだけでは親しくなれないくらい、ほかの出演者の方たちとも仲良くなれたんです。休憩中や行き帰りに話したりしてね。
ただ、初めて稽古に行った日は、一日中パラパラを踊る練習でした。「いったい何をしに来たんやろ」って。
YURAサマ:あの舞台をやったおかげで、「KIBAさんって、こんなこともやってくれるんだ」とわかった後輩は増えたと思うんです。声をかけたり、お願いしたりしやすくなったんじゃないかな。
KIBA:それはあるかもしれない。それまでは常に眉間にしわが寄っていそうな感じだったのかも。
──怖いと思われている自覚はあったんですか?
KIBA:ありました。スタジオで漫画を読んでいただけなのに、ほかのバンドの人に「KIBAさんが難しい本を怖そうに読んでいた」と言われたことがあって。「俺、漫画読んでるんだけど」って。そう見えがちなんでしょうね。
(文・構成=Leoneko 写真=石川真魚)
※後編に続く
