『豊臣兄弟!』眉毛全剃りの48歳――”痛おぢ”信長の実像と完全実力主義が断行した大量解雇の真相

前回(第24回)の『豊臣兄弟!』では、「いい人」なんだけど、その半面で「弱い男」すぎる夫・荒木村重(トータス松本さん)に裏切られ、彼の代わりに斬首されることになった妻の「だし」(山谷花純さん)が、「おのれー! 村重ー!」と鬼の形相で絶叫。しかし、刑場に引っ立てられた後は監督官の秀長(仲野太賀さん)の目の前で「殿(村重)、それでもお慕い申し上げておりました……」とつぶやき迎える最期が生粋の「だめんず」好きの損な女性の役回りすぎて切なくなりました。まぁね、愛とは理屈ではありませんからね。
ちなみに日本の斬首刑において首切り役人たちは「盆窪(ぼんのくぼ)」と呼ばれる後頭骨の後ろにある窪みを狙い、刀を振り落とせば、うまくいくと教えられていたので、ドラマのようにここが髪で隠れてしまうと首はキレイに落とせません。
さて次回(25回)は「変事の予兆」と題し、「信長(小栗旬)の新たな城・安土城が完成。祝宴の場で信長は、家臣たちに相撲を取るよう提案し、若き近習・森乱(市川團子)の相手に、なぜか林秀貞(諏訪太朗)や佐久間信盛(菅原大吉)、安藤守就(田中哲司)ら長老格の重臣を指名する。余興と思いきや、あえなく敗北した3人に、信長は問答無用で追放を言い渡す。小一郎と秀吉(池松壮亮)がその理不尽な行動の理由を探ると、光秀(要潤)が信長の真意を語りだす」という内容になるようです。
完璧主義が凄まじく、家臣にも心身ともに老いることを許さない信長。足腰の強さがモノを言う相撲で若い者に負けるようになったら、武士として戦力外通告を受けても「是非に及ばず(=信長の最後の言葉とされるセリフ)」――仕方ないよね、といわんがばかりにリストラしてしまう……。
しかしこれ、ドラマの映像としては面白いのですが、史実性はありません。信長が安土城を会場にした相撲大会を好んで催していたことは史実なので、それをもとにした演出です。
また『信長公記』によると、この時期にクビにされた「長老」はもう一人おりました。丹羽氏勝も織田家を解雇されてしまっています……などと書くとややこしくなりますが、史実の信長の寵臣・丹羽長秀(ドラマでは池田鉄洋さん)とは別の家系の出身とだけ言っておきます。
さてふだんの手紙も短文のみ、要件だけの“三行メール”ばっかりの信長サマから異例の直筆・長文の「19ヶ条の折檻状」なる書状を公衆の面前で読み上げられてリストラされたのが、佐久間信盛(管原大吉さん)です。
「19ヶ条の折檻状」には石山本願寺攻めという任務を任されながら、佐久間の手際が悪く、結果として10年近くの長期戦になってしまったことや、他の過去の軍事的な失敗も理由として挙げられ、「家柄だけで無能なお前ら父子を、織田家はもはや重鎮として受け入れられない!」という信長の“宣言”には重い説得力があったと思います。
しかし、ほかの人のクビ理由は曖昧なのですね。さすが“ブラック企業”織田家!という感じなのですが、織田家中でも「最高長老」といえる林秀貞(諏訪太朗さん)までこの時、ズバッとリストラされています。彼の解雇理由としては「先年信長公御迷惑の折節、野心を含み申すの故なり(『信長公記』)」――あなたは24年前、私(=信長)が弟に謀反された時、当初は弟に味方し、何か企んでたよね? と過去の古傷が蒸し返されており、不謹慎にも面白いのです。
“影が薄い家臣”からリストラされた織田家の古参
また、美濃の斎藤家攻略の際に織田方に寝返った安藤守就(とその息子)も、このとき織田家をクビになっていますが、彼も大昔の武田信玄・勝頼親子との内通疑惑を蒸し返されての解雇でした。
要するに年齢が高く、ゆえに給料も高く設定せざるをえないのに、影が薄い社員ほどクビを切られやすいという昨今の日本の解雇事情と重なる「何か」が天正8年(1580年)の織田家中で起きていたのでした。
しかし大ベテランである「長老」の家臣たちは、武将にとって「軍師」に相当する存在です。その重鎮たちのクビを切ってしまえば、ニュースが他家に伝わるはず。年寄り相手に血も涙もないと非難されたはずですが、むしろ信長は、自分が率いる織田家は良くも悪くも尋常な組織ではないと全面的に打ち出したかったのでしょうね。
このときの信長に代わって宣言するなら、「うちは年功序列は廃止。完全実力主義の組織です。JTC(=ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー)ではありえない!」ということで腕自慢の若者の雇用に本腰を入れていたはず。
そういう雰囲気を好んで織田家に“入社”したい若者もいたと思いますし、実際、信長が居城・安土城で開催していた相撲大会も、家臣のオーディション会場だった可能性が濃厚でしょう。
しかし、すでに信長に雇用されていた家臣たちはそういう信長のやり方――ある意味、これも「恐怖による支配」だと思うのですが、ついていけずに粛清されてしまった「ボンバーマン松永」こと松永久秀(竹中直人さん)や、「逃げ恥」というしかない荒木村重たちの顔がちらつくし、自分の明日さえ不安だし……と疑心暗鬼になるしかなかったはずです。それに人は誰しも老いるわけで、加齢による判断力の低下なども致し方ない部分があります。それを否定されてもなぁというのが当時の信長の家臣たちの本音だったのでは……。
ちなみに筆者は、信長自身「アンチエイジング至上主義者」だったと推測しています。この大リストラ事件の翌年、そして信長自身が亡くなる前年にあたる天正9年(1581年)の『信長公記』には、小正月の火祭である「左義長(さぎちょう)」のためにすごい扮装をする信長の姿が出てくるのです。
当日の信長は「黒き南蛮笠」――現在的にいえば、巨大なツバがついた黒い西洋風のお帽子をかぶり、「赤き色の御ほうこう」――赤い衣装をまとった上で、「御眉をめされ」ていたそうです。つまり眉毛を全剃りにしていたのでした。
当時の信長は御年四十八です。とっくに当時の平均寿命を上回っており、本人は“成熟世代”のつもりですが、世間的には高齢者であるにもかかわらず、おしゃれ自慢の若い公家男性たちの一部で、当時も行われていた眉毛全剃りという尖ったモードに48歳でチャレンジしてしまっていました。自分を48歳だとはまったく考えていない信長サマは、今ならば「年齢はただの数字」が口癖の“痛おぢ”であったことは間違いありません。
この翌月の有名な「馬揃え」――京都で天皇・公家たちを前に軍事力を見せつけたパレードでも信長が着用した衣装は特殊でした。「真ん中に人形が織りつけられた(『信長公記』)」という想像困難なほどにド派手なもので、しかもこれらの準備を担当させられていたのが明智光秀でした(詳しく知りたい方は拙著『本当は怖い日本史』をどうぞ)。ストレスで謀反でも起こしたくなりますよね。
さて、次回からいわゆる「森蘭丸」こと「森乱」――本名・森成利(もり・なりとし)の初登場となるようです。しかし、本作では「蘭丸」ではなく「乱」と一次史料に見られる表記を採用しているところがポイントです。
森乱を演じるのは歌舞伎の名門・澤瀉屋の若きスターで、市川中車こと香川照之さんの息子・市川團子さん。森乱としての扮装姿を見たところ、たしかに美しいのですが、本作の「森乱」は美しさが最大の才能という美少年ではありえず、相撲も強ければ、現代的にいえば秘書である御小姓の仕事もしっかりこなせていそうなところが、本作の信長サマの“タイプ”なんだろうなぁ……と想像してしまうのです。
そもそも史実の森乱本人も彼の父や兄たちと似て、顔の良さはともかく、ガタイのいい若者であったと考えたほうがよさそうです。森乱の兄で、ドラマでも戦死シーンがあったように記憶する森長可(もり・ながよし)は腕力自慢の槍使いで、ニックネームも「鬼武蔵」ですから……。
さらに無粋を承知で解説すると、彼らと同時代の史料において、森乱が信長の切った爪を1片も残さず数えて管理していたなどの“愛の逸話”は皆無です。つまり「信長最後の恋人・森蘭丸」のイメージは、われわれ日本人が江戸時代から400年以上かけ、世代を超えて紡いできた壮大な歴史BLにすぎないのでした。
しかも爪の数を数える蘭丸のエピソードは、戦国末~江戸時代初期成立の『備前老人物語』を原典としていながら、なぜか原文では「小姓」の一人とだけ書かれている存在が、森乱の逸話のように表現されるようになったというだけでも興味深い例なのです。
『豊臣兄弟!』の信長と森乱の関係も、壮大な歴史BLのヴァリエーションとして描かれるのか、もしくはそれを拒絶するものになるのか……。後者の可能性も「森蘭丸」ではなく「森乱」表記の採用からありうると感じる筆者です。こちらも目が離せなくなってきてしまいました!
(文=堀江宏樹)
